名付け親、育ての母

以前にブログに書いたが僕には彼女がいる。
彼女には人にない才能があって、入れ替わりの激しい僕たちの人格一人一人を見分けることができる。その千里眼は恐ろしく、僕たちがまだ気づいていない生まれたばかりの人格まで見つけ出してしまう。
一人一人に名前がいるでしょと次々に名前を付ける彼女。まさに名付け親だ。
しかし名付け親ならまだ知らず、なんと人格の成長を促して育ててしまうのだ。あっと言う間に人格はねずみ算式に増えた。これは問題なのではないか。

言葉もしゃべれない赤ん坊の人格たちが出ている時などもはや恥だ。
少し成長して遊び出したら収集がつかない。
数が多いので僕が出る機会が激減。
可愛いと笑顔で嬉しそうに言う彼女に頼むからやめてくれ、その一言が何故か言えなかった。

次第に成長する過程で人格の多くは出なくなっていった。とは言え生き残った人格たちは根強い。育て親が良かったのか個性的で親思い、服の趣味が奇抜だ。
中には仕事まで手伝う逸材がいたりもしたが、やはり大人になる前に次第に出なくなってしまった。

珈琲とUFOキャッチャーが大好きだった子。
靴の中敷きの形やビールの王冠をコルクボードに張り付けた子。
食べ物で実験するのが好きで半紙に筆で「忍」と書いた子。
すみっこぐらしが大好きだった子。
絵を描くのが大好きだった子。
小さなクリスマスツリーを作ってくれた子。
一緒に育った人格同士を兄弟と言って可愛がっていた子。
小さな子ブタのぬいぐるみを大切にしていた子。
以下割愛。

どの子も今は誰も出ない。もしかしたら幸せな成長過程を謳歌して存在が昇華されてしまったのだろうか。なんともにぎやかで寂しくもなる出来事だったが大量生産の結果か今現在新しい人格の芽は見えてこない。
長い育児期間を抜けたような気がしている。しかし新しい人格が生まれたら、彼女はきっとまた育ててしまうだろう。
僕は家にいる猫一匹で十分だ。
そう綴った翌日、数人の子たちが帰って来た。
もちろん怒られた。
成長したね、おかえりなさい。