多重人格ライフ

愛娘のスコティッシュフォールド、つまり猫の避妊手術が済んだのでフードの目安を見て管理することにした。獣医からは太りやすくなるので術後のフードを取り寄せることを強く進められたのたが単価が高い。今の御時世、野良猫でさえ避妊か去勢を余儀なくされていると言うのに術後に合わせたフードの単価が高く、取り寄せしかないと言うのは驚いた。
それ以上に驚いたのが愛娘が今まで目安とされる量の倍食べていたと言う事実。それなのに愛娘は動物病院で体重を計られると痩せてますねと言われていたのだ。愛娘は動くのが大好きで、高いところに飛び乗ったり階段を一段跳びで上り下りしたり走り回ったりしている。朝になると夜中のうちに口に加えて走り回ったことを示すおもちゃが散らばっていたりする。
本当に目安の量で足りているのか心配になるが今のところ体型は痩せすぎている訳ではないので信じて続けているのだけれど、食の管理をされると言うのはどんなものなのだろうと考えてしまう。

37才を向かえた今年、僕はついに中年太りを迎えてしまった。食事を抑えてみても食べるのが好きな人格がおやつを食べてしまったり、逆に筋肉好きな人格が体が辛くても毎日腹筋50回していたりする。まさに自由気ままな多重人格ライフ。
運動から食事まで完全管理されたクローンの映画があったが、健康にいいからとか超寿命のためにとか言われて完全管理されてしまったら人生はつまらなさそうだ。むしろストレスで病気になるのではないかとも思うが、もし生まれた時からそんな生活で違う生き方を知る術がなかったとしたら果たしてストレス事態を感じるのだろうか。
いまだにイギリスはじゃがいも料理ばかりの味気ない料理が多いと聞く。金銭的に難しいと言うわけでもないだろうし、ましてや他の料理を知らないと言うはずはないだろうからまさしくお国柄なのだ。始めからそれがあたり前で生きてきたから疑問は湧かないだろうし、むしろ小さい頃からの食生活で馴染みこそあれ変えたいとは思わないのかも知れない。

そう思ってみると多重人格も物心ついた時からだった僕は多重人格でない人生を本気で考えたことがあったろうか。確かに他の人格の声が聞こえることが嫌でたまらない時もあった。他の人格に左右されなければ無駄な物も持たず、服から何から自分の好きなものだけで囲まれたシンプルな生活ができると思う。しかし心の底から自分と言う人格しかいない人生を考えてみると恐怖しかない。
例えば辛くてどうしようもなく逃げたい時は表面に出なければいい。他の人格がその間の時間を過ごしてくれるのだからなんの問題もない。風邪で体が辛い時も代わりばんこで過ごせば治るまであっと言う間だ。苦手意識のあることも得意分野としている人格に代われば物事はスムーズに進む。かえって苦手なホラー映画を1人で見るのはつまらないからと付き合わされる時もあるが、普通の人間関係のお付き合いだと思えば友達の無茶ぶりのようなものだし、なかなか聞けない相談事もアドバイスをもらえることがある。
困ることもあれば助けられることがあるのが人間関係。人格同士も体は1つしかないけれどここは何も変わりはない。始めましての人格が突拍子もないことをして唖然とすることもあるが外国人の後輩を新人教育しているようなものだ。今なら許せるだろう。

人格の1人がこんな事を言っていた。人間は何人かの人格でなりたっていて、成長するにつれて1つに統合されていくのではないかと。
言われてみれば幼いころは誰しも一貫性がなく、夢中になっていたことも一瞬で冷めたり泣いていても突然笑いだしたりするものだ。記憶にないだけで誰しもがいくつもの人格と生活しているのかも知れない。人格がいくつもあると自覚した小学生のころ、周りの人も言わないだけで皆多重人格なのだと信じていた。もちろん他に人はいないのかとある日、母親に聞いて違うと知ってからは現実を叩きつけられたがあのまま何も知らなかったらいまだに皆秘密にしているだけで多重人格なのだと疑わなかっただろう。もしそんな人生を今でも生きていたらそれは楽しいものだったろうか。
どちらにせよ馴染みのある多重人格におさらばをする気はない。ここまで生きて来たのだから貫き通すまでだ。最近、SNSなどで以外と多重人格も多いものだと知ったので孤独は感じなくなった。同棲している彼女も多重人格だし、多重人格ライフを楽しむまでだ。

ところで、自分からすり寄って来た愛娘が突然噛んでくるのだけれど猫まで多重人格と言うことは・・・