多重人格ライフ

愛娘のスコティッシュフォールド、つまり猫の避妊手術が済んだのでフードの目安を見て管理することにした。獣医からは太りやすくなるので術後のフードを取り寄せることを強く進められたのたが単価が高い。今の御時世、野良猫でさえ避妊か去勢を余儀なくされていると言うのに術後に合わせたフードの単価が高く、取り寄せしかないと言うのは驚いた。
それ以上に驚いたのが愛娘が今まで目安とされる量の倍食べていたと言う事実。それなのに愛娘は動物病院で体重を計られると痩せてますねと言われていたのだ。愛娘は動くのが大好きで、高いところに飛び乗ったり階段を一段跳びで上り下りしたり走り回ったりしている。朝になると夜中のうちに口に加えて走り回ったことを示すおもちゃが散らばっていたりする。
本当に目安の量で足りているのか心配になるが今のところ体型は痩せすぎている訳ではないので信じて続けているのだけれど、食の管理をされると言うのはどんなものなのだろうと考えてしまう。

37才を向かえた今年、僕はついに中年太りを迎えてしまった。食事を抑えてみても食べるのが好きな人格がおやつを食べてしまったり、逆に筋肉好きな人格が体が辛くても毎日腹筋50回していたりする。まさに自由気ままな多重人格ライフ。
運動から食事まで完全管理されたクローンの映画があったが、健康にいいからとか超寿命のためにとか言われて完全管理されてしまったら人生はつまらなさそうだ。むしろストレスで病気になるのではないかとも思うが、もし生まれた時からそんな生活で違う生き方を知る術がなかったとしたら果たしてストレス事態を感じるのだろうか。
いまだにイギリスはじゃがいも料理ばかりの味気ない料理が多いと聞く。金銭的に難しいと言うわけでもないだろうし、ましてや他の料理を知らないと言うはずはないだろうからまさしくお国柄なのだ。始めからそれがあたり前で生きてきたから疑問は湧かないだろうし、むしろ小さい頃からの食生活で馴染みこそあれ変えたいとは思わないのかも知れない。

そう思ってみると多重人格も物心ついた時からだった僕は多重人格でない人生を本気で考えたことがあったろうか。確かに他の人格の声が聞こえることが嫌でたまらない時もあった。他の人格に左右されなければ無駄な物も持たず、服から何から自分の好きなものだけで囲まれたシンプルな生活ができると思う。しかし心の底から自分と言う人格しかいない人生を考えてみると恐怖しかない。
例えば辛くてどうしようもなく逃げたい時は表面に出なければいい。他の人格がその間の時間を過ごしてくれるのだからなんの問題もない。風邪で体が辛い時も代わりばんこで過ごせば治るまであっと言う間だ。苦手意識のあることも得意分野としている人格に代われば物事はスムーズに進む。かえって苦手なホラー映画を1人で見るのはつまらないからと付き合わされる時もあるが、普通の人間関係のお付き合いだと思えば友達の無茶ぶりのようなものだし、なかなか聞けない相談事もアドバイスをもらえることがある。
困ることもあれば助けられることがあるのが人間関係。人格同士も体は1つしかないけれどここは何も変わりはない。始めましての人格が突拍子もないことをして唖然とすることもあるが外国人の後輩を新人教育しているようなものだ。今なら許せるだろう。

人格の1人がこんな事を言っていた。人間は何人かの人格でなりたっていて、成長するにつれて1つに統合されていくのではないかと。
言われてみれば幼いころは誰しも一貫性がなく、夢中になっていたことも一瞬で冷めたり泣いていても突然笑いだしたりするものだ。記憶にないだけで誰しもがいくつもの人格と生活しているのかも知れない。人格がいくつもあると自覚した小学生のころ、周りの人も言わないだけで皆多重人格なのだと信じていた。もちろん他に人はいないのかとある日、母親に聞いて違うと知ってからは現実を叩きつけられたがあのまま何も知らなかったらいまだに皆秘密にしているだけで多重人格なのだと疑わなかっただろう。もしそんな人生を今でも生きていたらそれは楽しいものだったろうか。
どちらにせよ馴染みのある多重人格におさらばをする気はない。ここまで生きて来たのだから貫き通すまでだ。最近、SNSなどで以外と多重人格も多いものだと知ったので孤独は感じなくなった。同棲している彼女も多重人格だし、多重人格ライフを楽しむまでだ。

ところで、自分からすり寄って来た愛娘が突然噛んでくるのだけれど猫まで多重人格と言うことは・・・

謎多きママさん

僕たちの人格の中にママさんと言うあだ名の人がいる。彼女は子供がいると話していて、何故だか僕の彼女と仲良しだ。
しかし酒も煙草も男も好きなママさんは僕たち男の人格からしたら天敵だ。ヒールも大好きで、ピンヒールで出掛けられると人格が入れ替わった時に足の痛みで地獄と化す。

ママさんはあまり小さいことは気にしない。僕たち他の人格など何も気にせず好きなことをする。ある時などは彼氏を作ってあわや結婚しようとしていた。もちろん相手に多重人格のことなど微塵も話していない。血の気が引くできごとだった。
ママさんを押さえ込めたらいいのだけれど、気まぐれな彼女は強く本気を出されたら僕でさえも気圧されてしまう。また人生を謳歌し始めたらどうしようかと思う日々だ。
吉兆なのか分からないが、最近ママさんの旦那だと言う人格が現れた。しかしそうすると、先に述べた結婚しようとしていた彼氏とは不倫で重婚しようとしていたことになる。複雑だ。
最近あまり出てきていないので本人から事情を聞くことができないが、聞けたとしてもきっと僕は聞かないだろう。

考えてみればママさんは謎だらけの人格だ。旦那と子供がいると言うのも彼女と仲良くなって話したから知ったようなもので、そもそもいつからいた人格なのかすら分からない。女性の人格として元々いて、途中から割れたのか。僕が知らないだけで表面に出て生活していたのか。少なくとも古株だと言うことしか分からない。
そして高校の時、クラスメイトの男子を好きになったのはママさんだったのだろうか。なんとも疑惑の多い人だ。
思い起こせば小学校の時、気に入っていた男子の首の後ろにキスをしたのはママさんだったのではないか。僕たち人格の中でそんなことをするのはママさんくらいのものだ。何故あんなことをしたのかまったく理解できなかったがママさんがしたのであれば納得がいく。それにしても小学生の頃からなんと気の多い人だ。

ママさんの旦那さんであるパパさんも散歩や山登りが好きで嫉妬深い束縛タイプと言うことくらいしか掴めていない。ママさんが起こす事件は増えないに越したことはないが、これからもママさんの動向を追っていきたいと思う。多分続報はない。

メイちゃん

誰しも子供の頃、お気に入りのおもちゃがあったろう。肌身放さず持っていたのにいつの間にか手放していた幼少期の友。僕たちには大人になってから別れたぬいぐるみのメイちゃんがいた。

あれは北海道へ、父の知人に招かれて家族旅行をしていた折だった。車での移動中、キタキツネが姿を現したのだが、僕たちは見ることができなかった。そんな出来事のあとに入った喫茶店でキタキツネのぬいぐるみに興味を持ったのは当然のことだろう。親に買ってもらって、喫茶店の前で記念撮影までしたので写真が残っている。となりのトトロに影響を受けたのか何となくだったのか、名前はメイちゃんになった。
上着の内側に入れてチャックを閉め、頭だけ出した状態で一緒に歩いたりと本当に肌身放さず北海道から帰って来たと思う。
その後も公園に一緒に行ったり、汚れないよう留守番させたりしてメイちゃんは共に成長して行った。何が理由かは分からないが、泣くことが多くなった時期も隣にいて欲しいのは親ではなくメイちゃんになっていた。一つの成長過程だったのだろう。

涙の友にまでなったメイちゃんだったが、その遊ばれ方は様々だった。ぬいぐるみをたくさん使ったごっこ遊びの主人公、温厚で人情に厚く皆に頼られるメイちゃんだったり。ある時はよく見える棚の上からおままごとを眺めていたり。またある時は「あの丘まで行くぞ」と家具や布団を山や谷に見立てての大冒険の旅をしてみたり。今思うと女の子の人格と男の子の人格で明らかに遊び方が変わっていたように思う。
小学校6年の時にはオルゴール箱を自分で作る授業があって、デザインはメイちゃんなった。絵を描いて蓋になる木材に彫っていく。暗い色の茶色いニスを塗り、釘を打って完成したオルゴール箱は今でも裁縫道具を入れて大事に使っている。

そんなメイちゃんの友達役だったぬいぐるみたちと別れの時が来た。一時期まで出張が多かった父親はぬいぐるみをお土産にして、帰る度に増えていったぬいぐるみもいつしか色あせていった。あまりに量が多いので母親がついに別れの時を促したのだ。悩みに悩んで手の千切れかかったぬいぐるみ、汚れの染みついてしまったぬいぐるみとお別れをしていったがぬいぐるみ遊びでよく使うものとメイちゃん、メイちゃんの彼女役のぬいぐるみは生き残ることとなる。
とは言え中学、高校と進学していく度メイちゃんとの距離は少しずつ離れていったように思う。泣く時も段々とメイちゃんを抱き締めることもなくなり、いつしかメイちゃんはいくつかのぬいぐるみと一緒に押し入れに入った。
それでもメイちゃんを買った2月の22日になると、成長した女の子の人格がお誕生日と称してお祝いをしていた。相当大切だったのだろう。ある意味子供時代の象徴でもあり成長の過程の傍らにはいつもいたメイちゃんだ。そう簡単には忘れてしまえる存在ではなかった。
一方男の子の人格は気に入っていた車やピストル、十手などのおもちゃに依存することなくどこにあるのかさえ把握していなかったように思う。メイちゃんのことは尊重していたが、あれはあの子が大切にしている友達だからと言ったそのくらいの距離感だった。むしろ必要としているのは男友達だっただろう。

20才も過ぎ、いつしかメイちゃんの誕生日も忘れて過ぎ去る年が続き、大人になった人格たちはすっかり各々の人生を歩んでいた。このまま押し入れの奥でひっそりと思い出として過ごすはずのメイちゃんだったが、運命はそれを許さなかった。
高校の入学の年、会社を辞め会社を立ち上げて働いていた父親だったがベンチャー企業の大半はうまくいかないもの。僕たちが26才になった時、借金の返済のため家を売らなくてはいけなくなった。何となくそうなるのだろうと予期してはいたものの、のらりくらりと何とかなっていたため突然決定した会社倒産の話は正直ショックだった。20年以上、特に成長期の色濃い時代を過ごしてきた家や大切に使っていた部屋を手放すのはそう簡単なものではなかった。
しかし体が強くなく、働くことのできなかった僕たちは当時親に頼って生活するしかなくこの煽りを僕ももろに喰らった。
引っ越す先の部屋は窓も押入もない6畳間。部屋があるだけまだましだが、8畳収納つきの部屋から引っ越すにはほとんどの物を捨てていかなくてはならなかった。親が祖母を頼っていればこうはならなかったのだろうが、地元を離れたくなかったのか新しい仕事先で頑張りたかったのか、両親は祖母から帰って来るように言われていることを僕たちに伏せて、頼ることはできないのだと嘘をついていた。
今思えば個人的に連絡を取れば良かっただけだと分かるが、当時は体調が崩れ、精神も病んでおり本当に限界だった。とても事実を確認することなどできず、言われるがままに契約できない両親の代わりに不動産会社と賃貸契約を結んだ。そして引っ越しまでの日数も近づき、ついに僕たちはメイちゃんと向き合わなくてはならなくなった。

ぬいぐるみ一つくらいは持っていけると、最初はメイちゃんを持っていくつもりだった。けれども、他のぬいぐるみを半透明なゴミ袋に入れている時メイちゃんと目が合う。手を止めてじっと見ているとまるでメイちゃんが自分も捨ててくれと言っているように思えた。
メイちゃんはぬいぐるみ遊びの時、温厚で人情に厚く皆に頼られる役だった。洪水で村が住めなくなるから大移動しなくてはいけないというぬいぐるみのごっこ遊びをよくしていた時も、メイちゃんは村人を説得して最後に村を出ていった。
きっとメイちゃんなら苦楽を共にしてきたぬいぐるみたちを見捨てて1人生き残る道は選ばないだろう。潔く皆と一緒に捨てられる道を選ぶはず。僕たち人格の誰もがそう思ったのだろう、反対する人格は1人もいなかった。
そっとぬいぐるみが入ったゴミ袋にメイちゃんを置いて袋を締めた。子供時代の最後の断片を閉じた気持ちだった。

こうしてメイちゃんのいない僕たちの人生は始まった。一緒に引っ越した愛犬との別れ、精神病の治療、実家を出て自立とまだまだ人生は続いていくのだがメイちゃんに頼らず僕らはよく乗り越えていったと思う。
今は綺麗で優しい彼女と同棲して他の人格とも関係は良好。治療の結果、働けないものの安定した状態で娘である猫と生活できている。メイちゃんがもし見てくれていたら、この波乱万丈だらけの人生を優しく褒めてくれるはず。
もうメイちゃんを抱きしめて泣いていた女の子の人格は出てこないが、彼女も見えないところできっと幸せだと信じたい。

今ままでありがとう。このブログを書くことで再び君を思い出すことができたよ。

娘の避妊手術

僕には可愛い娘がいる。
スコティッシュフォールド、つまり猫だ。
あと2ヶ月で2才になる。
一緒の家に住み始めて1年ほどになるが、避妊することになった。

避妊には酷く反対だった。
生まれた姿のままでいて欲しかったのと、ベテランの獣医に任せるとしても手術に100%はないし麻酔をするとはいえ開腹手術をするのだ。それを想像しただけでとても自分には耐えられなかった。しかし今のご時世、片耳の先をカットして野良猫たちも避妊か去勢済み。一日中透る大きな声で発情期鳴き続けるのはうちの娘くらいだ。
夜は窓を閉めていたが8月になったら熱帯夜は難しい。その上、娘は発情期になるとマーキングをしてしまい日に三度片付けなくてはいけなかった。見つかりやすい場所ならまだいいが、1週間見つからずに床板が傷んでしまった場所が出てしまった。もちろん賃貸でこれが続くのは許されない。
同居している彼女は潔癖症が酷くなると具合を悪くしてしまうのだが、マーキングで症状は悪化していた。もう避妊するしかない。猫が泣くくらい、マーキングするくらいなんだと心の中では思っていても現実はそんなに簡単じゃない。親やご近所さん、獣医に友達、ネット情報とありとあらゆる意見を見聞きした。それでも正直なところ避妊をしたくない。彼女も避妊反対派だったので踏ん切れずにいた。

夜に何時間も鳴かれるのは辛いのだろう、僕は慣れたが他の人格からはいい加減にしてくれと伝えられていたし、すぐ避妊も決行するべきだと主張も強かった。仕方なく聞きたくなかった人格に意見を聞いてみた。彼は普段、食欲や運動欲に誠実であまり小難しいことは考えないのだが、時たま酷く的を射たことを言うので今回ばかりは意見を聞きたくなかったのだ。
「避妊、どう思う?」と言葉少なげに質問すると「この子は自分たちの元にやってきた。野良猫で産まれたんじゃなくて、ペットショップで産まれたんだからしかたないんだよ」なんて返ってきた。やはり僕は納得してしまった。
これが娘の運命。
人間と関わる猫は軒並み避妊か去勢の世の中。もはやこう言う時代だ。飲み込むしかなかった。夜になると目が覚めるたび避妊のことが頭によぎる。自分だったら何も説明されずに体を切り刻まれて性機能を失ったことも理解できない人生を耐えられるか。しかもそれをするのは大好きで信頼している家族だ。
娘のことを愛している。愛しているからこそ苦しい。

僕がこんなに頭を悩ませて心を痛めてしまったのはもしかしたら自分がトランスジェンダーだからかも知れない。世の中には性と体が違ったからと手術する人がいる。それを応援して認めていく世の中がある。

体を男にするってどんなだろう。手術で本当に男になるんだろうか。体が男としての人生とは。

以前に考えたことのあることが頭によぎっていたのかも知れない。

怖いから手術は嫌だ。もし麻酔にアレルギー反応をおこして心停止したら?入院中はどんな?痛いのだろうか。体が変わったあとに後悔することはないのか?

しかし、主人格は僕一人ではない。男の人格も多いが女の主人格もいる。せっかく女で心も体も一致して産まれてきたのに男陣の体に対する違和感を理由に突然手術して男になったら女の人格たちのその後の人生はどうなるのだろう。
自分だったら許せない。ふざけんなと思う。残りの人生は地獄だろう。止められなかった後悔。裏切った相手と体の中で一生一緒に行き続ける不幸。
娘の避妊は僕にとってはとても大きな問題になっていた。

手術当日、獣医の先生が恐いのか娘はしっぽを足の間に押し込んでいた。手術が終わっても一緒にいられない。怯えながら長い夜をゲージに閉じ込められて過ごさなくてはならない。
手術が終わったと彼女に電話があり、やっと一息つけた。娘の麻酔が切れて目が覚めたタイミングでの電話では傷を舐めてしまうのでカラーを付けたとの報告。普通はつけないらしい。付けて帰って来るものと思っていたので気にはしなかったが、舐めなければ付けられなかったのかと思うと娘が不憫だった。
一泊した夕方、迎えに行くと娘は興奮しきっていた。ゲージから手を出して獣医さんを攻撃しようとしたり威嚇の声をあげていたと報告され、娘らしいと思った。娘は最後まで戦ったのだ。
とてもゲージから出せないと獣医さんに頼まれ、娘を出そうと歩き出すと彼女がドアの前で「私が出したほうがいいと思う」と追い抜いた。ゲージが開いてなお威嚇する娘に躊躇なく手を伸ばし、鷲掴みするように片手で胴体を下から持ち上げそのまま診察台まで歩いていく彼女に思わず獣医さんは「さすが飼い主さん」と感嘆の声をあげていた。
最終チェックも終わりなんとか家まで帰ると、娘は緊張が緩んだのかカラーが辛いのか恐かったことを思い出しているのか甘えまくった。
寝室の扉を閉めると何回も鳴いて動き回るたびカラーがぶつかり大きな音がするので何回も扉を開けた。食事中は膝に乗ってはいけないことにしていたのに膝に乗らないと気が済まないので彼女も僕も乗せて食べた。カラーが邪魔で痒がるとかけない耳に指を突っ込んで耳垢を取った。
1週間、カラーが取れるまでの一日一日を一緒に待った。抜糸当日、ゲージに入って警戒する娘は診察台で大暴れした。獣医さん二人に押さえられながらも体をよじって抵抗する娘。抜糸は中々進まない。威嚇し続ける娘の大きな声で診察室は騒然となった。
なんとか消毒を終えてゲージに入った娘は逃げ出したいのか家に着くまでずっとゲージの隅々を前足で探り続けていた。

家で自由になった娘の姿を前に足が止まる。
もう嫌われたかもしれない。
今は近づかないほうがいいだろうと離れたところに佇んで見つめていると、カラーが取れてご機嫌そうにしていた娘がこちらに気づいて近づいて来た。
そっと脚にすり寄る。
ただそれだけで許された気がした。実際にはまだ怒っているかも知れないし、一生許してくれる気はないかも知れない。それでも今、優しさをくれた。
自分を許せた気がした。
娘は優しい。これからもお互いを大切に生活していけるだろう。僕たち男陣より頼もしい彼女と一緒に。

娘との出逢い

僕にはスコティッシュフォールドの娘がいる。
つまり猫だ。
三毛猫の柄を水で溶かしたような、一見すると白猫に見間違えるほどの淡く綺麗な三毛猫。
東京に住んでいた時、正月中に行ったペットショップで出逢った。
よくなついて、彼女はずっと抱っこしたまま僕には抱かせてくれなかったことを思い出す。後で知るがニットがとても大好きだったので、その日ニットを着ていた彼女に大人しく抱かれていたらしい。
一緒に住むには猫を飼えるアパートへ引っ越さなければならなかったが彼女の強い要望で、すでに猫を飼っていた僕の母に引っ越し終えるまで預かってもらう形で生活は始まった。

僕の地元にある病院へ彼女を通院させるため、実家へ一週間に一度泊まっていたのでしばらくは週一での娘との生活。小さな子猫はあっと言う間に大きくなった。
引っ越し先も決まり、迎えた引っ越し当日。時間になっても業者が来ない。おかしいと思い電話で確認してみると引っ越し業者の思い込みでキャンセルになっていた。もうガスも電気も水道も止める手続きを終えていたし、日を改めるとなると業者が忙しい3月だったためいつになるかわからない。家具の回収を頼んでいた何でも屋に急遽頼んで来てもらうことにした。
二時間後、到着した車2台はただの軽トラだった。
何でも屋からの条件は自分達も段ボールを一緒に運ぶと言う肉体労働つきだったがなんとかこなした。風が強かったため、高速道路を移動中冬物のコートをまとめた袋がふっとんで消えた。あとで紛失したコート代だと代金から一万円返してくれたが、失ったコートは一着だけだったと信じていたらしい。

ここまで苦労しての引っ越しとなったが全ては娘と一緒に生活するため。娘を迎え入れ始まった新生活だったが、賃貸の一軒家は巨大な蜘蛛と蟻の行列が止まない隙間だらけで歪みきった問題物件だった。夏になると大量の蜂が飛び交うため窓が開けられなくなり、鉢植えは枯れた。娘は次から次に屋内へ入ってくる虫たちをおもちゃとばかりにハンティングし、お洒落な梁が見えるロフトから梁に飛び乗り降ってくる始末。
大屋さんが趣味で建てた家は歪みきっていてビー玉を置くとあちこちばらばらの方向に勢いよく転がった。床下にはアライグマの親子が住みつき聞いたこともない声が響き渡り、娘が威嚇していた。
いつしか二人で体調を崩し、眼精疲労に頭痛と吐き気と下痢に見舞われた僕は新しい働き先を見つける余裕もなく彼女に全てまかせて半年で再び引っ越すこととなる。

今度の引っ越し業者はしっかりした人たちで気持ちよく働いてくれた。階段のきつい立地から車の入り込めない新居へ見事荷物を運び切ってくれたこと感謝する。
再びの新居はアパートだったが僕たち以外は借りていないので気兼ねなく快適な生活ができた。引っ越し終えたその日の夕飯時には吐き気も下痢も治りもりもりご飯は食べていたし、頭痛も眼精疲労も治まっていた。ご近所さんはすごく好い人たちばかりで小さな夢だった家庭菜園まで手伝ってくれて、もはやここまでトントン拍子だと東京から引っ越したあの日からの予測もできない困難な日々はこの幸せのためだったのではと思ってしまう。
娘と出逢ったあの正月の日から本当に色々なことが起こった。二度と同じ目には会いたくないが、二人と一匹の生活のために乗り越えられたことを誇りに思う。家族一同がそれぞれに大きく成長できた激動の日々よありがとう。

名付け親、育ての母

以前にブログに書いたが僕には彼女がいる。
彼女には人にない才能があって、入れ替わりの激しい僕たちの人格一人一人を見分けることができる。その千里眼は恐ろしく、僕たちがまだ気づいていない生まれたばかりの人格まで見つけ出してしまう。
一人一人に名前がいるでしょと次々に名前を付ける彼女。まさに名付け親だ。
しかし名付け親ならまだ知らず、なんと人格の成長を促して育ててしまうのだ。あっと言う間に人格はねずみ算式に増えた。これは問題なのではないか。

言葉もしゃべれない赤ん坊の人格たちが出ている時などもはや恥だ。
少し成長して遊び出したら収集がつかない。
数が多いので僕が出る機会が激減。
可愛いと笑顔で嬉しそうに言う彼女に頼むからやめてくれ、その一言が何故か言えなかった。

次第に成長する過程で人格の多くは出なくなっていった。とは言え生き残った人格たちは根強い。育て親が良かったのか個性的で親思い、服の趣味が奇抜だ。
中には仕事まで手伝う逸材がいたりもしたが、やはり大人になる前に次第に出なくなってしまった。

珈琲とUFOキャッチャーが大好きだった子。
靴の中敷きの形やビールの王冠をコルクボードに張り付けた子。
食べ物で実験するのが好きで半紙に筆で「忍」と書いた子。
すみっこぐらしが大好きだった子。
絵を描くのが大好きだった子。
小さなクリスマスツリーを作ってくれた子。
一緒に育った人格同士を兄弟と言って可愛がっていた子。
小さな子ブタのぬいぐるみを大切にしていた子。
以下割愛。

どの子も今は誰も出ない。もしかしたら幸せな成長過程を謳歌して存在が昇華されてしまったのだろうか。なんともにぎやかで寂しくもなる出来事だったが大量生産の結果か今現在新しい人格の芽は見えてこない。
長い育児期間を抜けたような気がしている。しかし新しい人格が生まれたら、彼女はきっとまた育ててしまうだろう。
僕は家にいる猫一匹で十分だ。
そう綴った翌日、数人の子たちが帰って来た。
もちろん怒られた。
成長したね、おかえりなさい。

多重人格カップル

僕には彼女がいるのだけれど、この関係が変わっている。
年は13歳離れているので、よくどう言う関係か聞かれる。説明が難しいので友人ですと答えている。しかし付き合っているのだから一見すると体が女同士なのでレズともとれる。
しかし僕が男なので彼女からすると間違いなく男の人と付き合っていると言う感覚らしい。
そしてお互い多重人格こと解離性同一障害だ。
かなりのレアカップルだと思う。

出会いは東京の下町。知り合いが東京で家を借りられず困っていたのでルームシェアをすることにして引っ越したことにある。引っ越ししたのは別の人格なのだけれどその話は割愛する。
ルームシェアできることになって知り合いが引っ越しをとある親子に手伝ってもらったらしい。せっかくだからと紹介された親子の娘のほうが彼女だった。

とは言えその時会ったのは引っ越しをした女の人格で、僕が知り合ったのはその後となる。
何故か年下の彼女になついてしまった女の人格はあろうことか多重人格のことを話してしまう。その時、よりにもよって僕の話をしたら彼女が話したいと言ってきたようで、電話で話すことになったのが始まりだ。
軽い自己紹介のあと、夜中だと言うのに電話で二時間話し通した。会おうと意気投合し、日も昇らないうちに落ち合った彼女には彼氏がいたと知る。僕は年上なこともありよき友人に徹したが、後々ろくでもない彼氏だと知り彼女を奪ってしまった。

めでたしめでたしと普通ならここでハッピーエンドなのだが、これこそプロローグにすぎなかった。
女の人格と仲良くなった彼女は同じ部屋に転がり込む形でルームシェアをする。しかし綺麗で優しいはずの彼女が時々めっためったに女の人格をいじめることがあった。
後でどうしてそんなことをしたのかと聞くと驚いた様子で記憶にないと言う。そんなことが続いて、彼女の様子をうかがっているうちに多重人格だと気づいたと言う訳だ。
彼女は僕を含めた人格の全員と仲良くなり大切にされたが、彼女の他の人格はまったく違った。
彼女のふりをしながら彼女の隙を見てこちらの人格を攻撃する人格たち。女の人格など泣かされてしまった。報告するたび悲しむ彼女と関係は良好とは言えなかったが、知り合いとのルームシェアの期限だった2年を迎え引っ越しして二人できちんと同棲を始めた。

しかし引っ越し先でも彼女の他の人格からの嫌がらせは続いた。記憶をなくすこともしばしばで、話をしても声が頭に入ってこないことを説明せず、生返事をすることを繰り返す彼女とのあいだにはしょっちゅう問題が起きていた。
何とか良くなってもらいたいと、同棲を始める前から精神科に付き添って通わせていたのだが多重人格の話は伏せていたので成果はみられなかった。体の調子もだんだんと悪くなり、いつしかほとんど寝たきり状態。辛い時期でもあった。
彼女を説得して僕がお世話になっていた地元の病院へ電車で二時間かけて通院することにした。先生に勧められカウンセリングをうけることになったのだが、なんと彼女の人格の一人が興味をもってこれに参加するようになった。
多重人格だと言うことも先生に伝えて治療を続けたが、相変わらずの体調だった。それでも通院は不思議と必ず続けられていた。彼女以外の人格の協力を得られた成果かも知れない。

通院は毎週で大変だったが、かえってこれが転機となる。通院が二時間もかかるせいで、東京から病院のある地元へ引っ越したいと言う思いが湧いたのだ。その頃、今娘のように可愛がっている猫との出会いがペットショップであり、彼女がどうしても飼いたいからと猫を飼える家に引っ越そうと地元へ移る。
うまくいかないことは多かったが、彼女の中にいる小さな女の子の人格と話ができるようになり、その女の子に教えてもらう形で僕たちをいじめていた人格たちの筆頭を暴くことに成功する。
なんと僕たちをいじめていた人格たちの筆頭は彼女のことを好きだった男の人格だったのだ。それを彼女に説明すると、そんなことはしてほしくないと言う彼女の気持ちが伝わったのかはたまた暴かれてばつが悪かったのか人格たちが僕たちをいじめることは不思議となくなっていった。

今とても幸せを感じている。
娘のように可愛がっている猫と優しくて綺麗な彼女との穏やかな生活。正直幸せボケしてしまっているのではと思うほどだ。
問題の全てが解決したわけではないが、これからも彼女を大好きな僕たちと彼女とで少しずつ解決へ努力し続けていこう。