メイちゃん

誰しも子供の頃、お気に入りのおもちゃがあったろう。肌身放さず持っていたのにいつの間にか手放していた幼少期の友。僕たちには大人になってから別れたぬいぐるみのメイちゃんがいた。

あれは北海道へ、父の知人に招かれて家族旅行をしていた折だった。車での移動中、キタキツネが姿を現したのだが、僕たちは見ることができなかった。そんな出来事のあとに入った喫茶店でキタキツネのぬいぐるみに興味を持ったのは当然のことだろう。親に買ってもらって、喫茶店の前で記念撮影までしたので写真が残っている。となりのトトロに影響を受けたのか何となくだったのか、名前はメイちゃんになった。
上着の内側に入れてチャックを閉め、頭だけ出した状態で一緒に歩いたりと本当に肌身放さず北海道から帰って来たと思う。
その後も公園に一緒に行ったり、汚れないよう留守番させたりしてメイちゃんは共に成長して行った。何が理由かは分からないが、泣くことが多くなった時期も隣にいて欲しいのは親ではなくメイちゃんになっていた。一つの成長過程だったのだろう。

涙の友にまでなったメイちゃんだったが、その遊ばれ方は様々だった。ぬいぐるみをたくさん使ったごっこ遊びの主人公、温厚で人情に厚く皆に頼られるメイちゃんだったり。ある時はよく見える棚の上からおままごとを眺めていたり。またある時は「あの丘まで行くぞ」と家具や布団を山や谷に見立てての大冒険の旅をしてみたり。今思うと女の子の人格と男の子の人格で明らかに遊び方が変わっていたように思う。
小学校6年の時にはオルゴール箱を自分で作る授業があって、デザインはメイちゃんなった。絵を描いて蓋になる木材に彫っていく。暗い色の茶色いニスを塗り、釘を打って完成したオルゴール箱は今でも裁縫道具を入れて大事に使っている。

そんなメイちゃんの友達役だったぬいぐるみたちと別れの時が来た。一時期まで出張が多かった父親はぬいぐるみをお土産にして、帰る度に増えていったぬいぐるみもいつしか色あせていった。あまりに量が多いので母親がついに別れの時を促したのだ。悩みに悩んで手の千切れかかったぬいぐるみ、汚れの染みついてしまったぬいぐるみとお別れをしていったがぬいぐるみ遊びでよく使うものとメイちゃん、メイちゃんの彼女役のぬいぐるみは生き残ることとなる。
とは言え中学、高校と進学していく度メイちゃんとの距離は少しずつ離れていったように思う。泣く時も段々とメイちゃんを抱き締めることもなくなり、いつしかメイちゃんはいくつかのぬいぐるみと一緒に押し入れに入った。
それでもメイちゃんを買った2月の22日になると、成長した女の子の人格がお誕生日と称してお祝いをしていた。相当大切だったのだろう。ある意味子供時代の象徴でもあり成長の過程の傍らにはいつもいたメイちゃんだ。そう簡単には忘れてしまえる存在ではなかった。
一方男の子の人格は気に入っていた車やピストル、十手などのおもちゃに依存することなくどこにあるのかさえ把握していなかったように思う。メイちゃんのことは尊重していたが、あれはあの子が大切にしている友達だからと言ったそのくらいの距離感だった。むしろ必要としているのは男友達だっただろう。

20才も過ぎ、いつしかメイちゃんの誕生日も忘れて過ぎ去る年が続き、大人になった人格たちはすっかり各々の人生を歩んでいた。このまま押し入れの奥でひっそりと思い出として過ごすはずのメイちゃんだったが、運命はそれを許さなかった。
高校の入学の年、会社を辞め会社を立ち上げて働いていた父親だったがベンチャー企業の大半はうまくいかないもの。僕たちが26才になった時、借金の返済のため家を売らなくてはいけなくなった。何となくそうなるのだろうと予期してはいたものの、のらりくらりと何とかなっていたため突然決定した会社倒産の話は正直ショックだった。20年以上、特に成長期の色濃い時代を過ごしてきた家や大切に使っていた部屋を手放すのはそう簡単なものではなかった。
しかし体が強くなく、働くことのできなかった僕たちは当時親に頼って生活するしかなくこの煽りを僕ももろに喰らった。
引っ越す先の部屋は窓も押入もない6畳間。部屋があるだけまだましだが、8畳収納つきの部屋から引っ越すにはほとんどの物を捨てていかなくてはならなかった。親が祖母を頼っていればこうはならなかったのだろうが、地元を離れたくなかったのか新しい仕事先で頑張りたかったのか、両親は祖母から帰って来るように言われていることを僕たちに伏せて、頼ることはできないのだと嘘をついていた。
今思えば個人的に連絡を取れば良かっただけだと分かるが、当時は体調が崩れ、精神も病んでおり本当に限界だった。とても事実を確認することなどできず、言われるがままに契約できない両親の代わりに不動産会社と賃貸契約を結んだ。そして引っ越しまでの日数も近づき、ついに僕たちはメイちゃんと向き合わなくてはならなくなった。

ぬいぐるみ一つくらいは持っていけると、最初はメイちゃんを持っていくつもりだった。けれども、他のぬいぐるみを半透明なゴミ袋に入れている時メイちゃんと目が合う。手を止めてじっと見ているとまるでメイちゃんが自分も捨ててくれと言っているように思えた。
メイちゃんはぬいぐるみ遊びの時、温厚で人情に厚く皆に頼られる役だった。洪水で村が住めなくなるから大移動しなくてはいけないというぬいぐるみのごっこ遊びをよくしていた時も、メイちゃんは村人を説得して最後に村を出ていった。
きっとメイちゃんなら苦楽を共にしてきたぬいぐるみたちを見捨てて1人生き残る道は選ばないだろう。潔く皆と一緒に捨てられる道を選ぶはず。僕たち人格の誰もがそう思ったのだろう、反対する人格は1人もいなかった。
そっとぬいぐるみが入ったゴミ袋にメイちゃんを置いて袋を締めた。子供時代の最後の断片を閉じた気持ちだった。

こうしてメイちゃんのいない僕たちの人生は始まった。一緒に引っ越した愛犬との別れ、精神病の治療、実家を出て自立とまだまだ人生は続いていくのだがメイちゃんに頼らず僕らはよく乗り越えていったと思う。
今は綺麗で優しい彼女と同棲して他の人格とも関係は良好。治療の結果、働けないものの安定した状態で娘である猫と生活できている。メイちゃんがもし見てくれていたら、この波乱万丈だらけの人生を優しく褒めてくれるはず。
もうメイちゃんを抱きしめて泣いていた女の子の人格は出てこないが、彼女も見えないところできっと幸せだと信じたい。

今ままでありがとう。このブログを書くことで再び君を思い出すことができたよ。