4才児の七夕とクリスマス

あれは幼稚園の七夕が近づいたある夜のこと。父親と一緒にお風呂に入りながら七夕の話をした。
当時4才だったうぶな子供は「七夕の短冊に願いを書くと叶う」と言う父親の説明を鵜呑みにした。
結果、当時通っていた幼稚園に飾られた笹には「男になりたい」と書かれた短冊が一枚、紛れるように飾られることとなった。

しかし、七夕の夜を過ぎて翌日目が覚めても体が男になることはなかった。
嘘だったんだと悟った。
この話を大きくなってから人に話しても、大抵の人は子供だから簡単になれると思ったのだろうと笑う。
当時男の子だった人格からすれば、叶わないと知っているからこそのまさしく神頼みで本気だった。叶わなかった時の絶望たるや壮絶なものだったらしい。
そのせいで同じ年に行われた幼稚園のクリスマス会では一つの悲劇が起こることとなる。

クリスマス会当日、神様に男にしてもらえなかった4才児の人格はもはやサンタクロースなど信じていなかった。
クリスマス会が始まり、園児たちはサンタクロースに会えると期待して会場はにわかに熱を帯びたようだった。
扉が開くとお決まりの赤と白の衣装を着た白い髭をたくわえるサンタクロースの登場。
クリスマス会の盛り上がりは絶頂に達していた。
サンタクロースがプレゼントを配り始め、子供たちがはしゃぐその最中じっと冷めた眼差しでサンタクロースを見つめる4才児。
確か男の先生が一人いたはずと頭をめぐらせ、まだ離れたところでプレゼントを配るサンタクロースのつけ髭の隙間から顔をうかがうと間違いなくその先生だった。
裏は取れた。
体育座りで座っていた横にいた園児たちに「あれは男の先生だよ」と言うと納得してしまった。
そしてその園児たちがまた隣の園児たちに話すを繰り返すうち、いつの間にか会場全員に話が行き渡りクリスマス会は先生に騙され覚めきった園児たちの巣窟と化した。
こんな事態になると一体誰が予測できただろうか。

真実とは常に正しいとは限らない。
この話から得る教訓は真実を語らないほうが世の中は美しいと言うことだ。

多重人格否定

今年に入って精神科の医者に多重人格(解離性同一障害)だと言えたのは幸せになれたからだと思う。
理解ある彼女と同棲して子供のように可愛がっている猫との暮らしに心の底から癒されたのだろう。

ずっと、自分は一人の人格で生きているんだと言い聞かせて演技をして生きてきた気がする。
多重人格を隠し続けた理由は個々の人格を守りたいからだった。
多重人格と呼ばれる人の状態を映画やドラマ、ドキュメンタリーで知り始めた当時は今よりも物珍しい印象だった。
奇異の目や実験材料にされることを恐れたのだ。

それにしても当時の映画やドラマでは多重人格者はサイコパスのように描かれていたものだ。
危険な犯罪者と言うイメージでまったく自分とは似ても似つかないし、ずれを感じた。
さすがにドキュメンタリーで当人が写し出された時は「これだこれだ!」と熱を持って同調できた。
共感できる喜びを求めてか、僕はついにブログまではじめてしまった。

とは言え人格が体と合っていないことには正直まだ納得しきれていない。
トランスジェンダーと言うらしいが、女で生まれてきてしまったことは事実で変えようがないし仕方ないことだ。
手術をするのはありのままの自分を否定するみたいで嫌だし、怖い。
女性人格もいて、そちらが主人格な時もあるので手術してしまって良いのかと言う気持ちもある。
この辺りのことはまだ乗り越えられそうもないが、最近は飲んでいる薬のせいで太った体の方が気になるので言うほど気にしてはいないのだろう。

初めまして。

初めて別人格に挨拶したのは7才だったか。
ブログを書いている僕、光の記憶ではないものの、大人びた話し方に憧れのような想いを抱いていた記憶は体に色濃い。
名前までつけて、学校の校庭や帰宅時によく話していた女の子の記憶だ。
まるで近所の年の離れたお兄さんと仲の良い小学生の女の子が手を繋いでいるようなイメージを持つ。
女の子は当時の主人格で実名のままだった。
最近はめっきり見かけなくなった。

ここで記憶の話に移るが、他の人格の記憶は図書館に保管されている分厚い本のようだ。
図書館の鍵を持っていて本も自由に読める僕は重宝される。
鍵を持たず図書館にすら入れないものが出ると、名前も年齢も何もかも白紙のままで個人的には恐い。
めったにそんな人格は表に現れないが、図書館の書物でそんなエピソードを読むと止めてくれと思う。
あー、恐い恐い。

中学の頃よく遊んでいたメンツが、高校卒業後主人格の入れ替えで突然分からなくなったことがあった。
まさに初めましてだ。
当時の主人格は慌てて図書館に行って書物をあさる。
誰の名前が何でどう言う関係か分かっても、帰路に着く頃にはへとへとで虚しさを感じていたようだ。
こんなことがよくあるせいか、主人格が5年ごとに代わってしまう。
新米の僕はどうなってしまうんだ?!
と言っても引っ込んだからと言って消える訳でもない。多分。

図書館以外に便利なのは別人格から直接口伝いや映像で教えてもらうこと。
これはやりとりが早くて直ぐに対処できるし安心感がある。
この連携が強くなったのは最近のことかも知れない。
それまでに比べると、飛躍的に一人の人間を演じるのに強くなった。
だからきっとしばらく僕で大丈夫。
自分から放棄しなければこの立場は早々無くなりはしないはず。
主人格が初めましては当分ごめんだ。
がんばろう!!(笑)

霊感と多重人格

10才の時だったか、道端を歩いていると10人くらいの人格が自分の体をすり抜けて行った気がした。
少し霊感があるせいか、直感的に危ない場所を歩いていると感じる時もあった。
霊感と多重人格がどう関係するか証明はされていないが、体の外から入って一時的に居ては去って行く人格と、元々体の中にいて生涯暮らしていく人格とあるような気がする。
そうでなければ100人も人格がある多重人格者と言うのは考えて難い。
脳がパンクしてしまうだろう。

どちらの人格かは分からないが同じく10才くらいの頃、その時その時に居た人格がノートに思い思い綴るのが流行っていた。
なんだか気持ちが悪いので破り捨てたのを覚えている。
テレビで見た多重人格者もノートに色々書いているのをその後見たことがあって、やることは大して変わらないなと今になって思う。

このブログも仲の良い人格の一人からは良く思われていない。
他の人格があまり多重人格のことを口外するのを嫌うので、医者に伝えたのも今年に入ってからだ。
人格が多いと疲れるのか、うつになりやすい。
10年以上通った病院の主治医には結局言わずじまい。
酒まで一緒に飲んだ仲だったが、一人で決められることでもないので仕方ない。

統制がとれていると言えばそうだけれど、まるで井戸端会議のようだ。
服を決める時など、このTシャツは誰の趣味でこのズボンはこいつの趣味でなんて選んでいると自分の趣味がまったく反映されていない時がある。
とは言え、知らない間に女性の人格がスカートとヒールで出掛けて帰りは男陣なんて情けないよりマシだ。
ピンヒールで歩かなければならなかった夜道の痛みを思い出す。
もうあのピンヒールが家にないのはありがたい。